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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)13010号 判決 1975年3月18日

原告

シンガー・ソーイング・メシーン・カムパニー

日本における右代表者

ジョン・ビー・オブライエン

右訴訟代理人

佐藤正昭

外一名

被告

酒井忠雄

右訴訟代理人

我妻真典

外一名

主文

被告は原告に対し金二二万七六九七円およびこれに対する昭和四五年八月二七日より支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は二分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。

事実《省略》

理由

一原告会社が昭和四一年四月一六日佐藤を雇入れたこと、同日被告との間で本件身元保証契約が成立したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によると、本件身元保証契約は、佐藤の怠慢もしくは詐欺行為により原告会社の集金が不能となつた場合、その他佐藤の不法行為により原告会社が被る損害を被告が弁償することを内容とするものであることが認められ、また原告会社が同日被告のほか佐藤の妻の父にあたる長谷川力四郎との間にも右と同一内容の身元保証契約を締結したことは当事者間に争いがない。しかして、佐藤が入社当初札幌営業所に勤務していたこと、昭和四一年七月一五日岩見沢営業所長となつたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によると、営業所長としての佐藤の職務内容は、同営業所において原告会社の取扱うミシン、冷蔵庫等を販売し、その代金を原告会社のために集金し、その一週間分をまとめて毎週原告会社の本店に送金する業務を総括していたことが認められる。

二そこで、原告会社の主張する佐藤の不正行為について検討する。

1  <証拠>を総合すると、佐藤は、同営業所において販売先から昭和四一年八月ごろより昭和四二年三月二二日にかけて受領した冷蔵庫等の販売代金で原告会社の本店に送金すべき合計金八四万〇〇九〇円を送金せず自己のために費消したこと(但し、<証拠>によると、佐藤は、昭和四一年八月ごろ、当時被告の妻アキエから借りていた約三万五〇〇〇円の返済に代えて同女に原告会社の時価四万七〇〇〇円相当の冷蔵庫を与えたことが認められるが、右冷蔵庫の代金相当額も右費消金額に含める)が認められ《る。》

2  原告は右のほか、佐藤が吉村吉明と共謀のうえ、冷蔵庫等をほしいままに他に処分し、右行為により原告会社に対して右販売代金合計相当額金一九二万五二八〇円から、手数料、据付料等相当額合計一三万七〇八三円を差引いた金一七八万八一九七円の損害を与えた旨主張するので、検討するに、<証拠>によると、岩見沢営業所は、右金一九二万五二八〇円の代金相当額の冷蔵庫等を販売していること、右金一七八万八一九七円が昭和四二年八月一二日現在原告本店に末だ送金されていないことが認められるが、他方、<証拠>によると、同営業所で行なう販売のうち月賦販売によるものが八、九割を占めていること、したがつて、右代金には、未だ販売先から集金されていないものも含まれていること、後記の如く、原告会社の各営業所間の販売競争が激しいため、佐藤は、その実績を販売台数によつて示そうと試みるようになつた結果、例えば全額納金した販売先について、右金額の一部を他の販売先からの納入金として流用することも行なつていたこと、また、販売先の獲得のために、同人は、相当な経費を必要としたが、原告会社から出されるそれでは不十分であつたため、集金した販売代金の一部をこれに充てていたことが認められ、この事実に照らすと、原告会社に対する右未収納金の存在のみからただちに原告主張のような態様における同人の不正行為を推認することはできず、また<証拠>によると、佐藤は、吉村吉雄ほか数名の風評の芳しからざる人物と接触する機会を有していたこと、また右の者らおよびそれに類する十数名の者に対して原告会社の品物を販売していること(右吉村に対しては三回に亘つて販売している)、吉村は昭和四二年一月ごろ他社からの電気製品の月賦詐欺を犯したことで岩見沢警察署に逮捕され、その後有罪判決を受けていること、同人は岩見沢営業所で買つた品物の代金についても支払を滞らせていたことが認められるが、他方、<証拠>によつて認められるところの、佐藤は吉村から、右代金を集金することができず困つていたこと、佐藤自身右1に述べた金員についてと異なり右金一七八万八一九七円については一貫してこれを自己のために費消した事実を認めていないこと、岩見沢警察署も吉村を取調べたが、佐藤に対してはこれをしなかつたこと、以上の諸事実に鑑みると、到底佐藤と吉村との接触および吉村の行状についての右認定の事実をもつて、原告主張の如き佐藤と吉村との共謀の事実を認めることはできず、他に右事実を認めるに足る証拠はない。

3  右によれば、佐藤は、原告会社に対して、昭和四一年八月ころから昭和四二年三月二二日にかけて金八四万〇〇九〇円の損害を職務上与えたことになる。

三1  <証拠>によると、次の事実が認められる。すなわち、被告と佐藤は、もともと面識がなかつたが、たまたま、被告の妻アキエ(以下アキエ)と佐藤の妻が顔見知りであつたことから、昭和四一年三月ごろアキエは、居住先が無くて困つていた佐藤の妻に頼まれて同人夫婦を被告宅に間貸しするようになつたこと、佐藤は、そのころ、失職中であつたが、四月五日ごろ新聞に掲載された原告会社の課長候補の社員募集に応募して採用され、同月六日から同営業所に通勤を始めたこと、原告会社は、同人と正式に雇用契約を締結するについて、同人に前記内容の責任を負うべき身元保証人二名をその条件として要求したこと、佐藤としては、当時同人の妻の父であつた長谷川力四郎のほかに右保証人になることを依頼することのできる適当な人物を知らなかつたたため、被告に対し右長谷川とともに身元保証人となつて欲しい旨を申し出たこと、被告は、右申出の承諾を躊躇したが、佐藤が、原告会社における職務内容について、金銭の取扱いのない一事務員としてのものであり、万一の場合にも、同人の親戚である右長谷川が責任をとるので、被告に対しては身元保証人としての名前を借りるだけである旨の説明を受け、失職中であつた佐藤に同情もしたところから余り深い考慮もすることなく、本件身元保証契約書(甲第一号証)に署名押捺するに至つたこと、一方、原告会社は、佐藤を通して右書面を被告から徴したほかは、被告に対して佐藤の原告会社における職務内容、将来性、本件契約により被告に賠償責任の生ずべき場合について何ら具体的説明もせず、面接することもなかつたこと、以上の事実が認められる。

2  佐藤が原告会社に入社当初札幌営業所に勤務したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によると、佐藤は、右営業所において、主として原告会社の製品の販売事務、関係書類の取扱い等の見習と販売実習を受けていたが金銭を取扱う仕事には就かなかつたことが認められ、その後同人が岩見沢所長となつたことおよび同人の右所長としての職務内容については前記したとおりである。ところで、<証拠>によると、佐藤夫婦は、右転勤のため、札幌市内の被告宅から約五〇キロメートル離れた岩見沢市内に転居したこと、その際佐藤は被告らに対して自分が岩見沢営業所長になることを述べ、また前記の如く、昭和四二年八月ごろ被告に冷蔵庫を納めた折に、所長としての特権に基いてこれを行なう旨の説明をしたほかは、転居の約一週間後にはがき一通を寄こしたのみで、その後被告との交渉は全く途絶えたこと、一方原告会社からも佐藤の転勤、その職務内容、その後の同人の生活模様等について何らの説明ないし報告を受けなかつたため、被告は、右の点について何ら知る機会がなかつたことが認められる。

3  ところで、<証拠>によると岩見沢営業所は、佐藤が転勤する際に新たに開設されたものであること、佐藤は、右開設の日に市内の質店遠田富子方に商品のミシンを入質し、その後も月二、三回同様に商品の出し入れを繰り返し、昭和四一年一一月ころには冷蔵庫、ミシンの他右営業所の備品であるテーブルや椅子も入質したこと、そのころ佐藤は、右営業所のために同質店の倉庫を借りたが、一一月分の賃料を支払つたのみで、その後の賃料は滞らせていたこと、同人は原告会社に対して実績を示すべく販売台数を増やすことに主眼を置いた結果原告会社から出される以上の経費を使用することもあり、また代金未納の販売先も生じたが、同営業所の販売の八、九割が月賦方式によつていたため、他からの集金を流用して右不足金に充てて原告会社に対する報告内容の外観をとりつくろつていたこと、その他佐藤は、市販の領収書を使つて集金した金を費消し、また一週間ごとになすべき本店への送金を全く行なつていなかつたことが認められ、一方、<証拠>によると、原告会社は北海道内に約二〇ケ所の営業所を有し、岩見沢営業所に対する業務上の監督については、札幌営業所の室蘭地方営業課が直接これにあたることになつていたが、具体的には、同課の課長(昭和四一年中は荒井しんいちが、昭和四二年一月からは加賀文明が課長であつた)が毎月二、三度同営業所に赴き、販売について督励するほかは一切所長である佐藤に委ねて、帳簿等の検査照合は行なつていなかつたため、佐藤の前記不正行為に気付かなかつたこと、しかして、昭和四二年一月中旬過ぎごろ、加賀文明らは、佐藤からの送金が遅れること等により不審を抱き、本店監査部の大野某も加わつてその営業の内容について調査を開始するに至つたが、関係書類が不備であつたこと等により右調査に時間がかかり、同年四月一七日に至つてようやく前記不正金のうち、四七万六八〇〇円が、同年七月六日に三六万三二九〇円が判明したこと、その間、加賀文明は、四月二三日被告方を訪れ、佐藤が被告に与えた前記冷蔵庫のことを尋ねたこと、その折被告の妻は、加賀文明に対して、佐藤の生活ぶりを尋ねたが、加賀は言葉を濁して去つたこと、しかして、原告会社は、同月二六日に被告に対し当時判明していた佐藤による右四七万六八〇〇円の横領事実を内容証明郵便で通知したことが認められる。

四被告は、昭和四二年二月一〇日以後原告会社に対して本件契約を解除する旨の意思表示を繰り返した旨主張するが、右主張に副う<証拠>は、被告が右解除を決意した動機について極めて暖昧であるうえ、前記三の3に認定した事実に照らすとこれを措信し難く、他に右主張事実を認めるに足る証拠はない。

五そこで、佐藤の前記不正行為により被告が原告会社に対して負うべき損害賠償額について検討する。

1 原告会社の佐藤に対する監督の不十分であつたことは、前記三の3の事実からも容易に窺われるところ、原告会社において、入社後約三ケ月の佐藤に岩見沢営業所の業務を委せ切り監督を十分にしないことについて何ら合理的根拠を認め難いこと、同営業所において、月賦販売方法を多用したことや佐藤が市販の領収書を使用して集金したことがあつたにせよ、原告会社から同営業所に対する出荷数、同営業所の在庫数、販売数、同営業所から原告会社の本店に対する送金額等によつて佐藤の執務内容を監査することはさほど困難と考えられないところ、前記の如く長期に亘つてこれを放任し、その間の同人の不正行為をあえて継続させた点で原告会社の同人に対する監督上の過失は大きいと言うべきである。しかして、原告会社は、昭和四二年一月中旬過ぎごろから同人の執務内容に疑いを抱いて調査を開始していたのにもかかわらず、<証拠>によると、佐藤は、その後も同営業所長としての仕事を続けていることが認められ、これをあえて許した原告会社の過失は甚大であるところ、右証拠によれば、前記不正金額八四万〇〇九〇円のうち同年二月以後に生じたものが合計八万一〇〇〇円であることが認められる。そして、原告会社が前記の如く佐藤の不正行為の調査を開始しながら、昭和四二年四月二六日に前記内容証明郵便を発する以前に原告会社から被告に対して佐藤についての不正行為の疑いの存する旨を通知した事実は、これを認めるに足る証拠がなく、身元保証に関する法律三条の通知義務をつているうえ、今後の損害の拡大を防ぐべく迅速適切な措置がとられた形跡もないことに鑑みるならば、先ず、被告の賠償すべき金額については、右の八四万〇〇九〇円から八万一〇〇〇円を控除した七五万八九九〇円を基礎として考えることが相当である。

2 しかして、右に述べた原告会社の佐藤に対する監督上の過失と各通知義務違反、前記の如き被告が本件契約を締結するに至つた経緯、その他一切の事情を考慮すると、被告の原告会社に対して負うべき賠償額は、右七五万八九九〇円三割にあたる金二二万七六九七円が相当である。

六よつて、原告の本訴請求のうち、被告に対し金二二万七六九七円およびこれに対する佐藤の不正行為のあつた日の後である昭和四五年八月二七日以後民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を求める部分は理由が認められるのでこれを認容し、その余の部分については理由が認められないので棄却することとし、訴訟費用については民事訴訟法九二条を適用し、仮執行宣言の申立については必要性が認められないので、これを却下することとし、主文のとおり判決する。

(安井章 加茂紀久男 岩垂正起)

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